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アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」社長のブログです。
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リフトの落下事故の為、借金が沢山できてしまいましたので、がむしゃらに働きました。

150坪の店を200坪に増床し、売上目標2100万を達成する為に、店売りや営業を一生懸命やりました。

まず、チラシで来店していただいたお客様に接客→お見積書→予約→成約→お礼の電話→お礼状→紹介のお願い→新規客来店か訪問する。

これを繰り返しお客様を増やしていきました。
一店舗の時は、目標2100万を何年も達成し続けました。

利益が出始めたので、現在の専務を店長にして、200坪の2店舗目を出店しました。これもまた成功して3店舗目を出店しました。
 
4店舗目を出店しようと意気込んでいた時、ある勉強会で講師の方に、「君は哲学を持ってないので、これ以上出店してはいけない,会社がつぶれますよ」と言われました。

とても腹が立ちましたが、哲学の意味が分からずに悔しかったので、ある研修に挑戦しがむしゃらに勉強しました。

1年間の研修でしたが、沢山の本を読み感想文を書き続けました。
おそらく今までで一番勉強した時期だと思います。

そして、哲学とは、会社においては経営理念であるということに気がつきました。

そして、経営理念とは、

「何の為に仕事をするのか。何の為にビッグウッドが存在するのか。お客様にとって、社会にとってビッグウッドの使命は何なのか」という事ではないかと考えるようになり、是非経営理念を作ろうと思い立ち考え抜きました。 
 
その結果、ビッグウッドを創業した時の初心に行き着きました。


それが   「お客様及び全従業員の喜びの創造」です。

お客様の喜び

1.喜んでいただく価格  1.喜んでいただくサービス 

1.喜んでいただく配達  1.喜んでいただく清掃


従業員の喜び

1.喜んでいただく収入  1.喜んでいただく職場

1.喜んでいただく将来性

 お客様に喜んでいただける接客、サービスをする為には、従業員が喜んで仕事に取り組んでいなければ出来ないと思ったのです。

13年前の事です、会社、企業は世の中の為にあると考えるようになりました。
それから、4店舗、5店舗と出店していきました。
9店舗の時、ビッグウッドのFC事業部門を作りました。

今から8年前、中小家具店が、大型チェーン店や他業者に売上げを奪われ、大変な苦境に陥った頃です。

ビッグウッドは売上げを伸ばし続けていましたので、アウトレットのノウハウを他の中小家具店さんにお教えして、アウトレットの商品を提供すれば、直営店と同じ様に活性化できると思い、FC事業部門を立ち上げました。

現在は14店舗のFC店の方が、共に頑張っています。
現在、家具業界でFC店舗展開をしている会社はビッグウッドだけだと思います。
日本フランチャイズチェーン協会の方にそうお聞きしました。

それで新たに、 「企業の再生支援を通じて社会に貢献する」と言う経営理念を作りました。

経営理念の浸透については、正直言ってまだビッグウッド社内でも出来ていません。
これは私の怠慢です、社員全員が経営理念を理解して、理想の会社を目指していかないと、理念を作っても何の意味もないのです。ほんとに反省すべきことだと思っています。

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我が社の名前は、「ビッグウッド」と言いますが、名前の由来は「大きな木」と言う意味です。

創業当初は「ビッグウッド杉木」でした。
では、どうして「杉木」をはずしたかと言うと、これは長い話になりますが、お話しますので聞いてください。
 
私が34歳の時、傷物家具を販売し出して何とか軌道に乗ってきて、「商売をやめなくて良かった」と思い始めた時の出来事です。

ある日私は、家具を配達しようと思って2階の売り場から商品を荷物用リフトに乗せていました。
そこへ同級生の保険会社の友達が、大きな保険に入るために健康診断に行こうと誘いに来ました。

私は「配達をしようと思っていた商品を「下に降ろすから、ちょっと待ってくれ」と言って、荷物用リフトに乗りました。
本当は人は乗ってはいけないリフトなのですが、私は度々、急ぐ時に乗っていました。

リフトに乗って2〜3秒して、突然ワイヤーロープが切れて下に落ちてしまいました。 後で人に聞いた話ですが、落ちた時はガス爆発が起きたような音がしたらしいです。

落ちた私は、ほとんど記憶が無いのですが、「今は死にたくない」と思った気がします。
不思議な事に、子供の頃から現在までの出来事が鮮明に脳裏をよぎりました。まるでビデオテープを見ているように鮮明に、そして詳細にです。
意識は無かったと思いますが、なぜかその事だけは覚えています。

あと、「死にたくない」と思った事は覚えています。 気がついた時は病院でした。
左足複雑骨折、顔面陥没骨折、頭蓋骨亀裂等の怪我でした。

自業自得で、乗ってはいけないリフトに乗った私が悪いのですが、まだ新しいワイヤーロープが切れる可能性は万に一つもないそうです。
悪い事は重なるもので、任意保険は大きな保険に切り替えるために一時的に解約していた時です。

おまけに社長は労災保険がない。
その時は自分のツキの無さに、あきれ果てました。       
 
まだ、店は一店舗しかなくて幸いでしたが、チラシは私が作らなくてはならないので病室でチラシを製作していました。

リハビリを受けないと良くならない事は分かっていましたが、手術が終わるとすぐに退院しました。
病院の先生にひどく叱られた気がします。
脚の手術をした先生は藪医者でしたが、顔面の手術をした先生は有名な教授の方だったので、ほとんどあとが残らなくて幸せでした。
 
借金が増えてしまいましたから、退院してすぐに仕事を再開しました。
松葉杖をついて接客していたのですが、階段の上り下りには苦労しました。

そんな時、会社の名前「ビッグウッド杉木」という字画数を調べてみると良くない事が判りました。
そこで「ビッグウッド」だけで調べてみると、21画で非常に良かったのです。

事故をして運、不運と言うものを少し信じ始めた時でしたから、社名を「ビッグウッド」だけにしようと思ったわけです。

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私は、ビッグウッドの社長をしている杉浦真悟と申します。
年齢は51歳。愛媛県松山市の出身で、農家の長男として生まれました。

5歳のとき父親を亡くして、小学生のときから母親の手伝いをしながら育ちました。

母親に無理を言って、東京の大学に行かせてもらいましたが、卒業したら松山に必ず帰ると母親と約束していましたので、東京で就職しないで松山に戻って働きました。

たまたま、近所の方が家具屋をしていましたので、そこでお世話になり家具の事を勉強しました。
27歳のとき、自分で商売をしたくて独立しようと思い、70坪の倉庫で家具屋を始めました。
最初は同級生と3人で始めたのですが、店が狭くて商品が少なく、汚いのもあってお客様は来店して頂けませんでした。

私はカタログで訪問営業をして家具を売りましたが、当然売上げも利益も少ないので同級生は1人やめ2人やめして自分一人になってしまいました。
生活費もない有様でしたが、なぜか商売が好きで楽しくて自分もやめようとは思わなかったのです。
 
30歳のとき親に保証人になってもらい、銀行から借金をして150坪の店を建てました。
最初は、激安のチラシも撒き、営業も一生懸命やったので、お客様に喜ばれ3年くらいは生活できる位の収入はあったのですが、4年程(1991年)すると他の大型店が、安物のチラシを撒き集客に力を入れ出したのです。

するとどうでしょう、あっという間に150坪の小さな家具屋にはお客様は来なくなり、売上げも急に下がり出し、まず自分の生活費が出なくなり、社員の給料も出せなくなって、もうどうして良いかわからない有様でした。

一夜で髪が真っ白になったと言う話を聞いていましたが、私の場合は、眉毛が真っ白になりびっくりしました。
大型店で売ってないものはないか、差別化をするしか生き残れないと思いました。

面白い事に、それはバブルの真っ只中の時期でした。
友達や親戚には、何をしても儲かる時に、お前は馬鹿じゃないかと言われました。おそらく、その当時の私の経営能力はかなり幼稚で低かったと思います。
 
そんな時、営業マンをしていた人(今は我が社の専務)が、傷物家具を売るぐらいしか生きる道はないんじゃないですかと言ったのです。
それが、我が社のアウトレットの始まりです。

最初はお客様に中古品だろうと思われました,まだアウトレットという言葉が知られていない17年前の事です。

とにかく商品を集める事が大変でした、九州の福岡県大川市という所に家具の産地がありますが、そこに毎週買い付けに行くのですが、その当時、傷物家具は卸屋さんがお得意の小売店さんにサービスであげるようなものでした。
 
我が社は、取引もないメーカーさんや卸屋さんに行って傷物家具を売ってください、というのですから無茶な話です。
それでもこれしかないと思ってますから、いろいろ紹介してもらって傷物家具を集めました。  

店も小さいのでたくさんは展示できず、土日で商品がなくなってしまうので、直ぐに仕入れに行かないと売る物がないのです。 
どんなものが仕入れできるかわからないのでチラシを工夫して集合写真にしました。
 
不思議なことに、バブルの真っ只中だったのですが、お客様の中には傷物家具でも良いと言われる方がいらっしゃってよく売れました。
それでこれはいけると思って、松山市内に2店舗目を出しました。

すると益々仕入れが大変になり、大川市に倉庫を借りて、そこで商品を現金で買い取る仕組みを構築しました。
そして専務が大川市に単身赴任して、メーカーさんや卸屋さんと人間関係を作り上げていったのです。

今では海外商品も直輸入出来るようになり、国内メーカーさんの商品(換金商品、旧型品、廃盤品、傷物、倒産品)も安く買い取る事ができるようになりました。

現在弊社は、直営店9店舗、FC店14店舗まで成長する事が出来ました。

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プロフィール
HN:
杉浦眞悟
年齢:
68
性別:
男性
誕生日:
1957/02/03
職業:
社長
自己紹介:
アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」の代表取締役社長
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