我々ビッグウッドの夢は、全世界のアウトレット家具インテリアを全国のお客様にどこよりも安く提供する事です。
価値ある物をどこよりも安くお客様に提供する事は、お客様に喜んでいただける最大のサービスだと思います
しかし、安いだけで本当にいいのでしょうか?
家具と言う物は、耐久消費財であり長年使用するものですし、価格も何万もする訳ですから商品の価値をしっかりと理解して購入していただきたいと、私は考えます。
お客様に「この店で買ったら安心だ」と言われるような接客はしなければいけないと思います。
ビッグウッドの店舗はN社やS社のように売場が広くはないので、品揃えの点では当然劣りますし、店舗も決して立派ではありません。
商品の価格は、他社より安いかもしれませんがお客様はアウトレットだから当たり前だと思っているでしょう。
私は日本一安く、日本一サービスの良い店を理想としています
お客様に「ビッグウッドは安いけれどもサービスは日本一だ」と言ってもらえるようになりたいのです。
お客様にどういうサービスをしたら喜んでもらえるのか、皆で考えて実行していきたいと思っています。
今までビッグウッドは、他社に先駆けていろいろなサービスを考えてきました、例えばコーヒー無料サービスとか配達料無料サービスとか引き取り家具無料サービスとか、今中断していますが中古家具の下取りサービスとか、お客様が一番喜んでくれるサービスは何なのか真剣に考えて行きたい。
しかし、人と人との触れ合いに勝るサービスはないのです。
お客様が、「あの販売員から家具を買いたい」と思っていただけるような接客に勝るサービスはないでしょう。
お客様の要望をしっかり聞いてあげて、そのお客様に喜んでもらえる商品を選んであげる事が第一ですが、お客様と友達になれるような接客が理想です。
要するに笑い声が聞こえてくる楽しい接客です。
私は対面販売ができるビッグウッドが大好きです。たくさんのお客様と友達になってより良い商品をどこよりも安く販売したいのです。
お客様にとっては、一生に一度の買い物になるかも知れない家具を販売できるこの仕事に感謝しています。
15年前、ペルシャ絨毯のアンティークを見て感動し、こんな素晴らしい物が世の中には存在するんだと驚きました。
それ以来、ペルシャ絨毯に魅入られ夢中になって、まず自分が購入し、親、兄弟、親戚、友達にも勧めました。私の熱意が伝わって、たくさんの人が購入してくれました。
ペルシャ絨毯の魅力とは
1 とてつもなく手間がかかる製法(一日数ミリしか出来ない)
2 美術品的価値(工房のサインが織り込んである)
3 アンティーク価値がある(古くなれば美しくなる)
4 4千年の歴史があり、人類の文化遺産である
5 自分の生きた証として、自分の感性を後世に伝える
6 親が使った絨毯を子供や孫に喜んで使って貰える
7 同じものがないと言うステイタスもあり、心が癒される
以上の様な素晴らしい物ですが、ペルシャ絨毯の文化を日本に広めると言う使命感を私は今持っております。
日本人は、ペルシャ絨毯にあまり馴染みがありませんでしたので、絨毯の製法も、アンティークの価値も知らない人が多いです。
実は日本に輸入できるようになったのは14年前で、アメリカとイランが国交を断絶したお陰です。
アメリカはイランの石油を始め、ピスタチオ、キャビア、ペルシャ絨毯の輸入を全面禁止いたしました。
その事によってイランの経済は破綻し、貨幣価値が下がった為、人件費が安くなったのでペルシャ絨毯が日本でも買えるようになったのです。
とにかく14年以前は値段が高すぎて、日本では販売できなかったのが事実です。
その証拠に我々日本人の先祖は、ほとんどの人が持っていないはずです(豊臣秀吉、織田信長、徳川家康は持っていました)。
畳の文化であった日本には絨毯その物があまり必要なかったのだと思いますが、現在の日本の建築様式は洋風になってきていますので、広いリビングの床に絨毯を敷く様式が普通になっています。
いずれはヨーロッパのように、アンティークのペルシャ絨毯を日本人全員が持つ時代が来ると信じています。
現在不安に思っている事は、アメリカとイランが国交再開すると、日本に輸入できるペルシャ絨毯の量が非常に少なくなり、値段が高騰する事です。
最近では原油の高騰も気になりますが、とにかく4千年の歴史の中でほんの短いチャンスを逃さず、今日本に輸入する事は私の使命だと感じています。
私だけではなくビッグウッドの社員一同、ペルシャ絨毯の文化をお客様に広める努力をする覚悟です。
是非皆様も、興味を持って勉強してみて下さい。
普通のショッピングモールに比べて、お客様の来店が多いように思います。
何故なんだろうと疑問を感じます。
私なりにその理由を分析してみたので聞いてください。
実は20年前、私がアメリカに研修旅行に行ったとき、初めてアウトレットモールを見たのですが、お客さんのあまりの多さにびっくりしたものです。
アメリカでは、アウトレットの歴史はかなり古く、メーカーが直販店を出店しているケースが多かったのです。
「ファクトリーアウトレット」という言葉をお聞きになったことがあると思いますが、メーカーの工場に残ったデッドストックを直販すると言う意味です。
アウトレット商品は価格が当然安いわけですが、品質も良い、とアメリカ人から聞きましたし、私も商品を見てそう思いました。
つまり、特価品として作った訳ではなくて、売れ残ってしまったために、安く処分せざるを得なくなった商品です。だから品質は悪くないのです。
お客様にとって、アウトレット商品は希少価値があり、宝探しで見つけたお宝のような物だと思います。
家具のアウトレット専門店「ビッグウッド」の場合も、来店されるお客様は掘り出し物を探しに来られます。
他の家具屋さんで買おうと思っている方でも、一応ビッグウッドに来られます。
そして、自分の欲しい商品があるかないか、もしあったら価格はいくらなのかが気になるようです。
要するに、アウトレットショップは気になるお店という事でしょうか。
ですから普通の家具店さんに比べると、当然来客数が多い訳です。
店舗には、「集客力」「商品力」「接客力」という3つの力があると思いますが、現在の家具店さんは特に集客力が弱いと思います。
商品が良くて接客も素晴らしい店舗でも、売上げは年々減少しているのではないでしょうか。
是非、アウトレットの商品に興味をもって欲しいと思います。
家具小売店でFC展開している会社は、その当時ほとんどなかったように思います。
今でもアウッレット家具ではビッグウッドが唯一です。
ではなぜ、FC展開をしようと思ったか、いや、しなければいけないと思ったのかをお話したいと思います。
ビッグウッドはその当時、ペルシャ絨毯展という展示会を各地の家具小売店さんと一緒に開催していました。
ところが、毎年のように仲間の家具店さんが無くなっていくのです。
全国規模の大型チェーン店が進出してきたり、競争が激化して売り上げが下がってしまったのが原因でした。
これはほんとに寂しいものでした。
でも同じ中小の家具店でありながら、ビッグウッドは競争が激化しても売上げも利益も下がりませんでした。
そこで、他の家具店さんもアウトレット専門店に業態転換すれば生き残れるのではないかと考えました。
実際、松山市に全国チェーン店のN社が進出してきた時、そのすぐ近くに我が社の支店がありましたので、売り上げが下がるのではないかと心配したのは事実です。確かに、何ヶ月間かは売り上げが下がり怖い思いをしました。
しかし、段々と同じレベルの商品であればビッグウッドの方が安いということが、お客様に理解されるようになってきました。
ビッグウッドはアウトレット専門店なので、N社より安いのは当たり前です。
でも、N社よりどれくらい安いと買って貰えるのかが問題でした。
そこで、N社の価格を調べ、同じレベルの商品を揃えて、価格を何割か安くして、「○○円安いです」とお客様に説明するようにしました。
しばらくすると元の売り上げに戻る事が出来たのです。
我々中小家具店は接客が出来ますので、N社との価格の差を丁寧に説明できる強みがあります。
しかし、今年N社は20%の値下げを発表しておりますので、さらにN社対策はしっかりやらないと勝ち残れないと思っています。
これから我々中小家具店は、協力して仕入れを強化しなければ、N社などの全国チェーン店に太刀打ちできないでしょう。
ビッグウッドも直営店は9店舗しかないので、自社だけでは仕入れ力に限界がありますが、FC店14店舗と力を合わせることによって、強いバイイングパワーを発揮できていると思っています。
FC店さんの中には、最初は全国チェーンの家具店が近くにできて売上が下がってしまったので、もう家具屋をやめようと思ってビッグウッドに閉店セールの依頼をされたお店もあります。
ところが、アウトレット家具が予想以上に売れるため、閉店セールをしている途中で廃業するのを思い直し、ビッグウッドのFC店に転換されました。
中には、FC店に転換して2年もしないうちに、2店舗目を出店されているところもあります。
ビッグウッドのFC店としてアウトレット店に転換した事によって、まず集客力がつきます。
そして、粗利率が高くなり利益が出る体質に変わるのだと思います。ただそれだけでは駄目で、当然のことながら一生懸命努力しないと大きな利益は得られませんが、やりがいはあるのではないでしょうか。
今後、N社は小型店を全国津々浦々まで出店する予定のようですので、我々中小家具店は団結して戦わなければ勝ち残れないと考えております。
ですから、ビッグウッドは志を同じくする同士を集めるべくFC店開発をしているわけです。
現在、家具業界も大変な転換期にあり、他業界と同じように再編されようとしています。
その中で勝ち組になるためには強い結束力が必要です。皆さん共に頑張りましょう。
なぜかと言うと大型チェーン店が全国展開して、どの地方都市にも進出してきているからです。
特にN社は、小都市にも展開すべく、現在の半分くらいの規模の店舗を展開しようとしています。
6月に四国の丸亀市にオープンする予定ですが、人口10万位の町でも出店する予定みたいです。
我々中小の家具専門店は、今後さらに苦戦すると思われます。
N社と差別化しなければ生き残れない訳ですが、商品点数にしても価格にしても勝つことは容易ではありません。
しかし、中小家具店の強みは小回りが利く、臨機応変に対応できるところです。
例えば価格については、N社の価格が標準価格としてお客様に認知されますので、その価格より安ければ、どこよりも安いと思ってもらえて買っていただけます。
N社は簡単に価格を変えることが出来ませんが、我々は毎日でも変えることができます。
更に、N社は粗利益率48%を誇っていますが、価格は決して安くはないので、お客様に同等の商品を安く販売する事は可能です。
ただ、コンテナで直輸入して、安く仕入れる必要はあります。
家具はどうしても配達経費がかかりますので、薄利では採算が合わないからです。
我々中小家具店は、共同で海外からコンテナによる直輸入をして、適正な粗利益を確保しなければならないと思います。
国内のメーカーからは、アウトレット商品(旧型品、傷物、換金商品、廃盤品)を仕入れて、大型チェーン店と差別化すべきだと思います。
展示方法も、ボリューム感のある立体陳列をする事によって、売場の狭さをカバーする必要があります。
また、接客方法も、お客様に喜んでいただけるような丁寧な接客が必要です。
商品のスライドによる単価アップやプラスワンによる単価アップをしなければ、効率の良い経営は出来ません。
そして我々の武器は自社配達です。
お客様のお家の中に入れるのは配達の時だけですが、家具のことに詳しい社員がお客様にいろいろ提案できますので、次の販売につなげる事が出来ます。
また、お客様の不要な家具を無料で引き取るとか、家具の移動をしてあげるとか、簡単な修理であればその場でしてあげるとか、いろいろなサービスが出来ます。
これは大型チェーン店には出来ないサービスです。お客様との人間関係をより深くすることが可能なのです。
ですから我々中小家具店は、可能性がいっぱいあるわけです。
私は本心から、中小家具店で良かったと思っています。 皆さんは、どう考えられますか?
27年前は、家具屋さんは、婚礼ダンスが中心で、1セット50万から100万くらいの物を営業して売っていました。
営業マンが、結婚される方のリストをもとに訪問営業をして、お店に来店していただき商品を決めると言う方法です。
婚礼セットだけで50万以上ですが、それに鏡台や食卓セット、婚礼用フトン一式などを足すと80万以上になります。
利益率も良く、正直良い業界だと思いました。
またほとんどの商品が国内メーカーで作られており、価格も今と比べるとかなり高かったです。
ところが現在は、婚礼ダンスはほとんど買わなくなっていますし、鏡台、婚礼用フトン等も必要なくなって来ています。
おまけに住宅産業各社がシステムキッチンや、クローゼット、等を住宅に作りつけにしたため、家具屋さんで買う商品はどんどん減って来ています。
また、小物家具は、ホームセンターや通販ショップ、最近はインターネットショップなどに市場を取られています。
小物家具だけではなく、ベット、ソファー、テレビボード、食卓セット、整理ダンス等もインターネットショップでどんどん売られています。
さらに、大型チェーン店の全国展開で価格競争が激化した結果、地方の中小家具店さんは売上げが思うように上がらないのが現実だと思います。
家具小売業の販売額の資料を調べると以下の結果です。
平成3年 2兆7407億 → 平成19年 1兆3022億
約1兆4385億減少(52%) 家具小売業の事業所数の資料を調べると、平成3年から19年までに14931店減少していました,約59%の減少です。
このような結果を見ると、良い業界だとは言えないのですが、この資料は家具自体の販売額ではなく、家具小売店の販売額ですから、実態は、このように減少してはいないと思います。
また小売店の中でも、株式上場している5社は毎年売上げを伸ばし、信じられないような利益を上げています。
粗利益率も50%近い高収益で、他の業界では考えられないような経常利益を上げています。
要するに勝ち組と負け組に別れ、格差が大きくなってきたのではないでしょうか。
我々が展開している家具専門店のアウトレットはどうかと言うと、売上げも粗利も減少していないと思います。
その理由はなぜなのかということですが、やはり日本の流通構造が変化した為だと考えています。
家具業界の流通 メーカー → 大卸 → 地方問屋 → 小売店 と言う流れが メーカー → 小売店 に変わった この流れはどの業界も同じだと思います。
アウトレット商品は今メーカーさんに溜まっています。
以前なら卸屋さんが処分してくれていたのですが、今はメーカーが処分しなければなりません。
小売店さんの要望でオリジナル商品や毎年新商品を作らなければならないのですが、全商品が完売するわけはありません。そこでデッドストックが生まれます。
メーカーは倉庫事情もあり、処分せざるを得ないのです。
家具の流行は他の業界に比べて変化のスピードが遅いので、旧型品でもお客様は安ければ喜んで買ってくれるのです。
価格の設定が一番大事ですけれど、仕入れに失敗しなければ、かなり安く売る事が出来ます。
以上が私の家具業界に関する考えですが、一つの意見としてお聞きください。
150坪の店を200坪に増床し、売上目標2100万を達成する為に、店売りや営業を一生懸命やりました。
まず、チラシで来店していただいたお客様に接客→お見積書→予約→成約→お礼の電話→お礼状→紹介のお願い→新規客来店か訪問する。
これを繰り返しお客様を増やしていきました。
一店舗の時は、目標2100万を何年も達成し続けました。
利益が出始めたので、現在の専務を店長にして、200坪の2店舗目を出店しました。これもまた成功して3店舗目を出店しました。
4店舗目を出店しようと意気込んでいた時、ある勉強会で講師の方に、「君は哲学を持ってないので、これ以上出店してはいけない,会社がつぶれますよ」と言われました。
とても腹が立ちましたが、哲学の意味が分からずに悔しかったので、ある研修に挑戦しがむしゃらに勉強しました。
1年間の研修でしたが、沢山の本を読み感想文を書き続けました。
おそらく今までで一番勉強した時期だと思います。
そして、哲学とは、会社においては経営理念であるということに気がつきました。
そして、経営理念とは、
「何の為に仕事をするのか。何の為にビッグウッドが存在するのか。お客様にとって、社会にとってビッグウッドの使命は何なのか」という事ではないかと考えるようになり、是非経営理念を作ろうと思い立ち考え抜きました。
その結果、ビッグウッドを創業した時の初心に行き着きました。
それが 「お客様及び全従業員の喜びの創造」です。
お客様の喜び
1.喜んでいただく価格 1.喜んでいただくサービス
1.喜んでいただく配達 1.喜んでいただく清掃
従業員の喜び
1.喜んでいただく収入 1.喜んでいただく職場
1.喜んでいただく将来性
お客様に喜んでいただける接客、サービスをする為には、従業員が喜んで仕事に取り組んでいなければ出来ないと思ったのです。
13年前の事です、会社、企業は世の中の為にあると考えるようになりました。
それから、4店舗、5店舗と出店していきました。
9店舗の時、ビッグウッドのFC事業部門を作りました。
今から8年前、中小家具店が、大型チェーン店や他業者に売上げを奪われ、大変な苦境に陥った頃です。
ビッグウッドは売上げを伸ばし続けていましたので、アウトレットのノウハウを他の中小家具店さんにお教えして、アウトレットの商品を提供すれば、直営店と同じ様に活性化できると思い、FC事業部門を立ち上げました。
現在は14店舗のFC店の方が、共に頑張っています。
現在、家具業界でFC店舗展開をしている会社はビッグウッドだけだと思います。
日本フランチャイズチェーン協会の方にそうお聞きしました。
それで新たに、 「企業の再生支援を通じて社会に貢献する」と言う経営理念を作りました。
経営理念の浸透については、正直言ってまだビッグウッド社内でも出来ていません。
これは私の怠慢です、社員全員が経営理念を理解して、理想の会社を目指していかないと、理念を作っても何の意味もないのです。ほんとに反省すべきことだと思っています。
創業当初は「ビッグウッド杉木」でした。
では、どうして「杉木」をはずしたかと言うと、これは長い話になりますが、お話しますので聞いてください。
私が34歳の時、傷物家具を販売し出して何とか軌道に乗ってきて、「商売をやめなくて良かった」と思い始めた時の出来事です。
ある日私は、家具を配達しようと思って2階の売り場から商品を荷物用リフトに乗せていました。
そこへ同級生の保険会社の友達が、大きな保険に入るために健康診断に行こうと誘いに来ました。
私は「配達をしようと思っていた商品を「下に降ろすから、ちょっと待ってくれ」と言って、荷物用リフトに乗りました。
本当は人は乗ってはいけないリフトなのですが、私は度々、急ぐ時に乗っていました。
リフトに乗って2〜3秒して、突然ワイヤーロープが切れて下に落ちてしまいました。 後で人に聞いた話ですが、落ちた時はガス爆発が起きたような音がしたらしいです。
落ちた私は、ほとんど記憶が無いのですが、「今は死にたくない」と思った気がします。
不思議な事に、子供の頃から現在までの出来事が鮮明に脳裏をよぎりました。まるでビデオテープを見ているように鮮明に、そして詳細にです。
意識は無かったと思いますが、なぜかその事だけは覚えています。
あと、「死にたくない」と思った事は覚えています。 気がついた時は病院でした。
左足複雑骨折、顔面陥没骨折、頭蓋骨亀裂等の怪我でした。
自業自得で、乗ってはいけないリフトに乗った私が悪いのですが、まだ新しいワイヤーロープが切れる可能性は万に一つもないそうです。
悪い事は重なるもので、任意保険は大きな保険に切り替えるために一時的に解約していた時です。
おまけに社長は労災保険がない。
その時は自分のツキの無さに、あきれ果てました。
まだ、店は一店舗しかなくて幸いでしたが、チラシは私が作らなくてはならないので病室でチラシを製作していました。
リハビリを受けないと良くならない事は分かっていましたが、手術が終わるとすぐに退院しました。
病院の先生にひどく叱られた気がします。
脚の手術をした先生は藪医者でしたが、顔面の手術をした先生は有名な教授の方だったので、ほとんどあとが残らなくて幸せでした。
借金が増えてしまいましたから、退院してすぐに仕事を再開しました。
松葉杖をついて接客していたのですが、階段の上り下りには苦労しました。
そんな時、会社の名前「ビッグウッド杉木」という字画数を調べてみると良くない事が判りました。
そこで「ビッグウッド」だけで調べてみると、21画で非常に良かったのです。
事故をして運、不運と言うものを少し信じ始めた時でしたから、社名を「ビッグウッド」だけにしようと思ったわけです。
年齢は51歳。愛媛県松山市の出身で、農家の長男として生まれました。
5歳のとき父親を亡くして、小学生のときから母親の手伝いをしながら育ちました。
母親に無理を言って、東京の大学に行かせてもらいましたが、卒業したら松山に必ず帰ると母親と約束していましたので、東京で就職しないで松山に戻って働きました。
たまたま、近所の方が家具屋をしていましたので、そこでお世話になり家具の事を勉強しました。
27歳のとき、自分で商売をしたくて独立しようと思い、70坪の倉庫で家具屋を始めました。
最初は同級生と3人で始めたのですが、店が狭くて商品が少なく、汚いのもあってお客様は来店して頂けませんでした。
私はカタログで訪問営業をして家具を売りましたが、当然売上げも利益も少ないので同級生は1人やめ2人やめして自分一人になってしまいました。
生活費もない有様でしたが、なぜか商売が好きで楽しくて自分もやめようとは思わなかったのです。
30歳のとき親に保証人になってもらい、銀行から借金をして150坪の店を建てました。
最初は、激安のチラシも撒き、営業も一生懸命やったので、お客様に喜ばれ3年くらいは生活できる位の収入はあったのですが、4年程(1991年)すると他の大型店が、安物のチラシを撒き集客に力を入れ出したのです。
するとどうでしょう、あっという間に150坪の小さな家具屋にはお客様は来なくなり、売上げも急に下がり出し、まず自分の生活費が出なくなり、社員の給料も出せなくなって、もうどうして良いかわからない有様でした。
一夜で髪が真っ白になったと言う話を聞いていましたが、私の場合は、眉毛が真っ白になりびっくりしました。
大型店で売ってないものはないか、差別化をするしか生き残れないと思いました。
面白い事に、それはバブルの真っ只中の時期でした。
友達や親戚には、何をしても儲かる時に、お前は馬鹿じゃないかと言われました。おそらく、その当時の私の経営能力はかなり幼稚で低かったと思います。
そんな時、営業マンをしていた人(今は我が社の専務)が、傷物家具を売るぐらいしか生きる道はないんじゃないですかと言ったのです。
それが、我が社のアウトレットの始まりです。
最初はお客様に中古品だろうと思われました,まだアウトレットという言葉が知られていない17年前の事です。
とにかく商品を集める事が大変でした、九州の福岡県大川市という所に家具の産地がありますが、そこに毎週買い付けに行くのですが、その当時、傷物家具は卸屋さんがお得意の小売店さんにサービスであげるようなものでした。
我が社は、取引もないメーカーさんや卸屋さんに行って傷物家具を売ってください、というのですから無茶な話です。
それでもこれしかないと思ってますから、いろいろ紹介してもらって傷物家具を集めました。
店も小さいのでたくさんは展示できず、土日で商品がなくなってしまうので、直ぐに仕入れに行かないと売る物がないのです。
どんなものが仕入れできるかわからないのでチラシを工夫して集合写真にしました。
不思議なことに、バブルの真っ只中だったのですが、お客様の中には傷物家具でも良いと言われる方がいらっしゃってよく売れました。
それでこれはいけると思って、松山市内に2店舗目を出しました。
すると益々仕入れが大変になり、大川市に倉庫を借りて、そこで商品を現金で買い取る仕組みを構築しました。
そして専務が大川市に単身赴任して、メーカーさんや卸屋さんと人間関係を作り上げていったのです。
今では海外商品も直輸入出来るようになり、国内メーカーさんの商品(換金商品、旧型品、廃盤品、傷物、倒産品)も安く買い取る事ができるようになりました。
現在弊社は、直営店9店舗、FC店14店舗まで成長する事が出来ました。