アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」社長のブログです。
今日は「生活の中心におくもの」という題で話したいと思います。
全ての人には中心があります。
しかし、自分の中心を意識することはないし、またその中心が自分の人生に及ぼしている多大な影響について考えることもあまりありません。
1.自己中心
現在最もよく見られる中心は「自己中心」でしょう。
その中で最も良く目につく形はわがままであり、これはほとんどの人が心の中で信じている価値観に違反するものであります。
自己という極めて限定された中心には、安定性、方向性、知恵、力はほとんどありません。
その一方、人に仕え、価値を生み出し、有意義な形で貢献することにより自己の成長を目指すことは、自分の安定性、方向性、知恵、力に劇的な改善をもたらすことになります。
2.仕事中心
仕事中心の人はワーカホリックになってしまい、健康、人間関係、その他の大切な生活の要素を犠牲にしてまで働きがちであります。
彼らの自己イメージと自尊心は仕事と深く関わっているため、仕事の妨げになる出来事は全て自分の安定性を揺るがすことになります。
方向性は仕事の要求に左右され、知恵と力が自分の仕事の範囲によって限定されます。
3.所有物中心
所有物は、多くの人にとって大きな動機付けになっています。
もし私の安定性が私の評判や持っている所有物に依存していれば、それを失いはしないか、盗まれはしないか、あるいはその価値が低下することはないかと常に恐れて、脅威を感じながら生活するほかありません。
所有物中心の人は自尊心が常に揺らいでおり、一貫性、安定性、または一定の自分というものを持っていません。
いつも資産、土地、地位、または名声を守ることに集中しています。
4.お金中心
ほとんどの人は、生活する中で経済的な不安や心配に直面することがあるでしょう。
社会の厳しい変化が私達の経済状態に影響を与え、生活の安定を揺るがしてしまうことがあります。
しかし、お金を稼ぐことを生活の中心におき、そればかりに集中すれば、自滅を招くことになるでしょう。
お金中心の限界は、人間関係などの大きな問題に直面した時に明確になります、なぜならお金を生活の中心におく人たちは、家族などの大事な事柄をすべて後に回し、周りの人は皆、「仕事の大切さを理解してくれるだろう」と思い込んでいるからです。
5.家族中心
家族に集中し、自分の多くのエネルギーを投入すれば、家族は深い人間関係、愛、分かち合い、人生を素晴らしいものにしてくれる多くの要素を含んでいます。
しかし、これを中心にすれば、皮肉なことに家族の成功に必要な土台そのものが破壊されてしまうことになります。
家族中心の親というものは、本当の意味で子供の最終的な幸福を考える余裕と情緒的な安定性を持っていません。
親の子供に対する愛は条件つきであり、子供に情緒的な依存状態か、反抗的な反対依存状態をつくり出す結果になります。
6.友達、敵中心
友達中心は、時と場合によっては特定の一人の人に集中し、夫、妻中心に似た現象を呼ぶ起こすこともあります。
特定の人に対する情緒的な依存性は、高まる欲求と争いの悪循環を生み出し、中心においていた人間関係そのものを破壊してしまう結果を呼びます。
敵を生活の中心におく人は、自分の生活を主体的に送るより、相手の行動や態度に対して反対依存的に反応しているだけであります。
7.宗教組織中心
宗教組織の中心では、イメージや見かけが重要視されがちで、個人の安定性がなくなってしまう偽善的な生活になりがちであります。
宗教組織そのものは、方針、プログラム、活動、人などによって構成されたものであるから、それだけで人に深い継続的な安定性あるいは内的な価値を授けることは出来ません。
宗教組織を中心にする人は,生活を区画しがちで、寺院,神社、教会などに行く日はある行動、態度を示し、残りの一週間は違う行動をとりがちです。
宗教組織を手段としてではなく、目的としてみることは、私たちの知恵を奪い、生活のバランスを崩す結果を招きます。
8.遊び中心
度を過ぎない罪のない遊びは、心身ともに休息を与え、家族やその他の関係の育成に役立つものであります。
しかし、遊びそのものが深い継続的な満足や充実感を与えるものではありません。
遊び中心の人はすぐ今味わっている楽しさのレベルに飽きてしまい、常に「もっと欲しい、もっと欲しい!」と叫びだします。
だから次の楽しみがもっと大きく、もっと強烈で、もっとエキサイティングで、もっと興奮させてくれるものでなければ、満足できなくなるのです。
こうした人たちは完全に陶酔状態に陥っており、今すぐここで楽しくなるかどうかで人生の全てを解釈し評価してしまうのです。
安定性、方向性、知恵、力は連続体の下のほうにあり、はかなく一瞬で消えてしまうものであります。
以上は、多くの人が生活の中心におきがちなものであります。
もしも「正しい原則」を自分の生活の中心におけば、自分の安定性、方向性、知恵、力を開発していく為のしっかりとした土台を得ることになります。
「原則中心」の場合安定性は原則の不変性に基づくものとなり、継続的にそれに頼ることが出来るのです。
原則は何に対しても一切反応することはなく、怒ることもなければ、私達に対する態度や接し方を変えることもありません。
原則は深い基礎的な真理であり、全人類共通のものであり、人生の生地そのものに一貫して、深く、美しく、力強く織り込まれているのです。
原則を生活の中心に位置づけることによって生まれる知恵と方向性は、物事の現在のあるがまま、過去のあったがまま、将来にあるがままの現実についての正確な地図を持つことによってしか得られないものであります。
正しい地図を持つとき、目的地はそこにたどり着くための道がはっきりと見えるようになります。
意思決定をするにあたって、正しいデータを生かし、有意義なかつ実行可能な計画を作ることができるのです。
原則と調和された生活をすれば良い結果が得られ、原則を無視すれば望ましくない結果を被ることになるのです。
以上の文章はスティーブン、R、コヴィー氏の「7つの習慣」から抜粋いたしました。
来週は、「正しい原則とは?」という題でお話いたいと思います。
全ての人には中心があります。
しかし、自分の中心を意識することはないし、またその中心が自分の人生に及ぼしている多大な影響について考えることもあまりありません。
1.自己中心
現在最もよく見られる中心は「自己中心」でしょう。
その中で最も良く目につく形はわがままであり、これはほとんどの人が心の中で信じている価値観に違反するものであります。
自己という極めて限定された中心には、安定性、方向性、知恵、力はほとんどありません。
その一方、人に仕え、価値を生み出し、有意義な形で貢献することにより自己の成長を目指すことは、自分の安定性、方向性、知恵、力に劇的な改善をもたらすことになります。
2.仕事中心
仕事中心の人はワーカホリックになってしまい、健康、人間関係、その他の大切な生活の要素を犠牲にしてまで働きがちであります。
彼らの自己イメージと自尊心は仕事と深く関わっているため、仕事の妨げになる出来事は全て自分の安定性を揺るがすことになります。
方向性は仕事の要求に左右され、知恵と力が自分の仕事の範囲によって限定されます。
3.所有物中心
所有物は、多くの人にとって大きな動機付けになっています。
もし私の安定性が私の評判や持っている所有物に依存していれば、それを失いはしないか、盗まれはしないか、あるいはその価値が低下することはないかと常に恐れて、脅威を感じながら生活するほかありません。
所有物中心の人は自尊心が常に揺らいでおり、一貫性、安定性、または一定の自分というものを持っていません。
いつも資産、土地、地位、または名声を守ることに集中しています。
4.お金中心
ほとんどの人は、生活する中で経済的な不安や心配に直面することがあるでしょう。
社会の厳しい変化が私達の経済状態に影響を与え、生活の安定を揺るがしてしまうことがあります。
しかし、お金を稼ぐことを生活の中心におき、そればかりに集中すれば、自滅を招くことになるでしょう。
お金中心の限界は、人間関係などの大きな問題に直面した時に明確になります、なぜならお金を生活の中心におく人たちは、家族などの大事な事柄をすべて後に回し、周りの人は皆、「仕事の大切さを理解してくれるだろう」と思い込んでいるからです。
5.家族中心
家族に集中し、自分の多くのエネルギーを投入すれば、家族は深い人間関係、愛、分かち合い、人生を素晴らしいものにしてくれる多くの要素を含んでいます。
しかし、これを中心にすれば、皮肉なことに家族の成功に必要な土台そのものが破壊されてしまうことになります。
家族中心の親というものは、本当の意味で子供の最終的な幸福を考える余裕と情緒的な安定性を持っていません。
親の子供に対する愛は条件つきであり、子供に情緒的な依存状態か、反抗的な反対依存状態をつくり出す結果になります。
6.友達、敵中心
友達中心は、時と場合によっては特定の一人の人に集中し、夫、妻中心に似た現象を呼ぶ起こすこともあります。
特定の人に対する情緒的な依存性は、高まる欲求と争いの悪循環を生み出し、中心においていた人間関係そのものを破壊してしまう結果を呼びます。
敵を生活の中心におく人は、自分の生活を主体的に送るより、相手の行動や態度に対して反対依存的に反応しているだけであります。
7.宗教組織中心
宗教組織の中心では、イメージや見かけが重要視されがちで、個人の安定性がなくなってしまう偽善的な生活になりがちであります。
宗教組織そのものは、方針、プログラム、活動、人などによって構成されたものであるから、それだけで人に深い継続的な安定性あるいは内的な価値を授けることは出来ません。
宗教組織を中心にする人は,生活を区画しがちで、寺院,神社、教会などに行く日はある行動、態度を示し、残りの一週間は違う行動をとりがちです。
宗教組織を手段としてではなく、目的としてみることは、私たちの知恵を奪い、生活のバランスを崩す結果を招きます。
8.遊び中心
度を過ぎない罪のない遊びは、心身ともに休息を与え、家族やその他の関係の育成に役立つものであります。
しかし、遊びそのものが深い継続的な満足や充実感を与えるものではありません。
遊び中心の人はすぐ今味わっている楽しさのレベルに飽きてしまい、常に「もっと欲しい、もっと欲しい!」と叫びだします。
だから次の楽しみがもっと大きく、もっと強烈で、もっとエキサイティングで、もっと興奮させてくれるものでなければ、満足できなくなるのです。
こうした人たちは完全に陶酔状態に陥っており、今すぐここで楽しくなるかどうかで人生の全てを解釈し評価してしまうのです。
安定性、方向性、知恵、力は連続体の下のほうにあり、はかなく一瞬で消えてしまうものであります。
以上は、多くの人が生活の中心におきがちなものであります。
もしも「正しい原則」を自分の生活の中心におけば、自分の安定性、方向性、知恵、力を開発していく為のしっかりとした土台を得ることになります。
「原則中心」の場合安定性は原則の不変性に基づくものとなり、継続的にそれに頼ることが出来るのです。
原則は何に対しても一切反応することはなく、怒ることもなければ、私達に対する態度や接し方を変えることもありません。
原則は深い基礎的な真理であり、全人類共通のものであり、人生の生地そのものに一貫して、深く、美しく、力強く織り込まれているのです。
原則を生活の中心に位置づけることによって生まれる知恵と方向性は、物事の現在のあるがまま、過去のあったがまま、将来にあるがままの現実についての正確な地図を持つことによってしか得られないものであります。
正しい地図を持つとき、目的地はそこにたどり着くための道がはっきりと見えるようになります。
意思決定をするにあたって、正しいデータを生かし、有意義なかつ実行可能な計画を作ることができるのです。
原則と調和された生活をすれば良い結果が得られ、原則を無視すれば望ましくない結果を被ることになるのです。
以上の文章はスティーブン、R、コヴィー氏の「7つの習慣」から抜粋いたしました。
来週は、「正しい原則とは?」という題でお話いたいと思います。
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