アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」社長のブログです。
今日は、皆さんお元気でしたか? ご無沙汰をしておりました、申し訳ありません。
今日は「人間の境涯」についてお話したいと思います。
境涯という言葉は、英語ではステージとかステートとか言う言葉に置き換えられると思いますが、人格のレベルだと思ってください。
哲学者である吉村思風先生は、7つの境涯があると言われておりますが、それを紹介させていただきます。
境涯は第一段階の人称的自我と第二段階の理念的自我があります。
(人称的自我)
1,第一人称的自我
中学から高校時代にかけて形成される。
自分の立場からしか物が見えない、自己中心的な境涯です。
問題の原因は自分にあるのではなく、原因は外にあると言う考え方をする
自分が見えていないから、外からの刺激に支配され、ちょっとしたことにもすぐ腹を立てたりする。
利己的欲求に支配され、常に利害打算が先行し、少しでも自分に有利なようにという自己中心的判断から、利己的な欲求に支配された行動を取ります。
2,第二人称的自我
相手の立場を考える事ができる境涯。
この境涯は、恋とか愛とかの自然発生的な欲求に端を発して、だんだん相手の立場に立つ事を覚えていきます。
自分よりも相手の立場を優先させる為、自分のことは忘れて相手の事ばかりを考えるお人よしになる。
世間体を非常に気にして感情に溺れやすい傾向がある。
3,第三人称的自我
自分をも他人をも第三者の立場に立って眺める事ができる境涯です。
自己中心的自我と他者中心的自我との間を揺れ動くといった迷いから吹っ切れ、脱却する事ができる境涯で、利害関係の無い中立的立場です。
我々組織人が、第三者の立場から物を見るという目を獲得すれば、団結力の強い、利害や対立の問題があまり生じない、柔軟性を持って社会と和していける組織を作る事ができます。
(理念的自我)
4,超越的自我
理念を持って生きる生き方で、現実を超え出て理念に向かっていき、現実を理念に高めようと言う生き様です。
第一人称的自我、自己中心的自我が理念化された状態です。
目的の為には手段を選ばない、他人には少々迷惑をかけても、他人を犠牲にしても、自分の目的を実現するという、命の底から湧き上がるような意思的情熱に駆られた境涯です。
名誉心や自尊心が強く、誇り高い人であり、独善的で自分本位の理念の実現の仕方ですから、利害関係にこだわった生き方です。
自分の持つ潜在能力を出し切り、自己を実現し切って個性的な能力を持った本物の人間になるためには、必ず通らなければならない境涯です。
5,去私的自我
理念や目的を強く意識する事によって、意識が自然に私へのこだわりから離れていく境涯です。
家族の為に生きる、会社の為に生きる、国家の為に生きる、さらには全人類の為に生きるという博愛的な境涯です。
より大きな目的の為に自分を無にして、相手と協力しながら目的実現のために努力できる、対立するものを乗り越えていこうと言う境涯です。
自分の出来る最善の事を尽くし、あとは天命を待つといった生き方です。
ようするに老子の「無為自然」の境地です。
損得抜きで会社の為に働く、国家の為、人類の為に働くという意識が無理なく出てくる段階です。
自分に使命がある限り、神仏は私を殺させはしない、私が死ぬ時は使命が終わった時であるという実感を持って行動し、仕事をし、生きる事ができる境涯です。
6,統合的自我(全人的自我)
超越的自我と去私的自我を経過する事によって、その境涯を乗り越え、人間として最も理想的な生き方をするものとして、最も高い位の境涯です。
運命を創造すると言う立場にあり、自己中心的な活動をしていながら、同時にそれが大自然、大宇宙の意志の反映であり、多くの人々の幸福に貢献し、それがまた最高の自己実現にもなっている状態です。
自分にとっては自然で必然的な生き方をしていることが、結果的には国家の運命を左右する仕事に関係しており、あるいは全人類に貢献するような偉大な発見に結びついていたり、全人類を救う偉大な行動に結びついたりする境涯です。
真偽、美醜、善悪、利害と言った対立的価値判断を超え出た境地で人間や人生を考える事ができる状態です。
すなわち第四の超越的自我は利害関係にこだわる、第五の去私的自我は利害損得を離れる。
そして第六の統合的自我は、すべて利であり得であると感じる境涯です。
7,自在的自我
境涯にこだわらない状態で、人間的自由を求める最終的な境涯です。
どんな時でも真面目にしか出来ない、自分は悟りを開いた人間だから、いつでも悟りを開いた人間としての行動しか出来ないということは、一つの境地に囚われてしまった人間の姿です。
時に応じ、状況により、又人間関係の如何によって、即座に自分自身の態度をその場にぴったりはめ込む事ができるような、自在性を自分の中に構築していくのが最終的な境地(自在的自我)であります。
以上が、感性論哲学による7つの境涯ですが、人格を高める為には、より以上の境涯を目指して努力すべきでしょう。
どこまでいっても人間は不完全ですが、不完全でありながら、本物を目指して努力している、その姿の中に人間らしい人間と言うものがあるのだと思います。
悔いの無い人生を送る為に、本物の人間になるために、より以上の境涯を目指して頑張ることが大切だと思います。
皆さんはどのようにお考えでしょうか?
株式会社 家具のアウトレットビッグウッド 杉浦眞悟
今日は「人間の境涯」についてお話したいと思います。
境涯という言葉は、英語ではステージとかステートとか言う言葉に置き換えられると思いますが、人格のレベルだと思ってください。
哲学者である吉村思風先生は、7つの境涯があると言われておりますが、それを紹介させていただきます。
境涯は第一段階の人称的自我と第二段階の理念的自我があります。
(人称的自我)
1,第一人称的自我
中学から高校時代にかけて形成される。
自分の立場からしか物が見えない、自己中心的な境涯です。
問題の原因は自分にあるのではなく、原因は外にあると言う考え方をする
自分が見えていないから、外からの刺激に支配され、ちょっとしたことにもすぐ腹を立てたりする。
利己的欲求に支配され、常に利害打算が先行し、少しでも自分に有利なようにという自己中心的判断から、利己的な欲求に支配された行動を取ります。
2,第二人称的自我
相手の立場を考える事ができる境涯。
この境涯は、恋とか愛とかの自然発生的な欲求に端を発して、だんだん相手の立場に立つ事を覚えていきます。
自分よりも相手の立場を優先させる為、自分のことは忘れて相手の事ばかりを考えるお人よしになる。
世間体を非常に気にして感情に溺れやすい傾向がある。
3,第三人称的自我
自分をも他人をも第三者の立場に立って眺める事ができる境涯です。
自己中心的自我と他者中心的自我との間を揺れ動くといった迷いから吹っ切れ、脱却する事ができる境涯で、利害関係の無い中立的立場です。
我々組織人が、第三者の立場から物を見るという目を獲得すれば、団結力の強い、利害や対立の問題があまり生じない、柔軟性を持って社会と和していける組織を作る事ができます。
(理念的自我)
4,超越的自我
理念を持って生きる生き方で、現実を超え出て理念に向かっていき、現実を理念に高めようと言う生き様です。
第一人称的自我、自己中心的自我が理念化された状態です。
目的の為には手段を選ばない、他人には少々迷惑をかけても、他人を犠牲にしても、自分の目的を実現するという、命の底から湧き上がるような意思的情熱に駆られた境涯です。
名誉心や自尊心が強く、誇り高い人であり、独善的で自分本位の理念の実現の仕方ですから、利害関係にこだわった生き方です。
自分の持つ潜在能力を出し切り、自己を実現し切って個性的な能力を持った本物の人間になるためには、必ず通らなければならない境涯です。
5,去私的自我
理念や目的を強く意識する事によって、意識が自然に私へのこだわりから離れていく境涯です。
家族の為に生きる、会社の為に生きる、国家の為に生きる、さらには全人類の為に生きるという博愛的な境涯です。
より大きな目的の為に自分を無にして、相手と協力しながら目的実現のために努力できる、対立するものを乗り越えていこうと言う境涯です。
自分の出来る最善の事を尽くし、あとは天命を待つといった生き方です。
ようするに老子の「無為自然」の境地です。
損得抜きで会社の為に働く、国家の為、人類の為に働くという意識が無理なく出てくる段階です。
自分に使命がある限り、神仏は私を殺させはしない、私が死ぬ時は使命が終わった時であるという実感を持って行動し、仕事をし、生きる事ができる境涯です。
6,統合的自我(全人的自我)
超越的自我と去私的自我を経過する事によって、その境涯を乗り越え、人間として最も理想的な生き方をするものとして、最も高い位の境涯です。
運命を創造すると言う立場にあり、自己中心的な活動をしていながら、同時にそれが大自然、大宇宙の意志の反映であり、多くの人々の幸福に貢献し、それがまた最高の自己実現にもなっている状態です。
自分にとっては自然で必然的な生き方をしていることが、結果的には国家の運命を左右する仕事に関係しており、あるいは全人類に貢献するような偉大な発見に結びついていたり、全人類を救う偉大な行動に結びついたりする境涯です。
真偽、美醜、善悪、利害と言った対立的価値判断を超え出た境地で人間や人生を考える事ができる状態です。
すなわち第四の超越的自我は利害関係にこだわる、第五の去私的自我は利害損得を離れる。
そして第六の統合的自我は、すべて利であり得であると感じる境涯です。
7,自在的自我
境涯にこだわらない状態で、人間的自由を求める最終的な境涯です。
どんな時でも真面目にしか出来ない、自分は悟りを開いた人間だから、いつでも悟りを開いた人間としての行動しか出来ないということは、一つの境地に囚われてしまった人間の姿です。
時に応じ、状況により、又人間関係の如何によって、即座に自分自身の態度をその場にぴったりはめ込む事ができるような、自在性を自分の中に構築していくのが最終的な境地(自在的自我)であります。
以上が、感性論哲学による7つの境涯ですが、人格を高める為には、より以上の境涯を目指して努力すべきでしょう。
どこまでいっても人間は不完全ですが、不完全でありながら、本物を目指して努力している、その姿の中に人間らしい人間と言うものがあるのだと思います。
悔いの無い人生を送る為に、本物の人間になるために、より以上の境涯を目指して頑張ることが大切だと思います。
皆さんはどのようにお考えでしょうか?
株式会社 家具のアウトレットビッグウッド 杉浦眞悟
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