今日は「熱意」という言葉の意味についてお話したいと思います。
『熱意』とは、熱い思い、燃えるようなやる気、使命感、情熱、いろいろな意味を持っていると思います。
以前に人生、仕事の成果は「能力×熱意×考え方」で決まると言う話をしたと思いますが、この方程式の中で一番大切なことは「考え方」であるといいました。
確かに「考え方」はマイナス100からプラス100まであるので、間違った考え方をしていると、能力が高いほど熱意が大きいほど結果が悪くなってしまいますので、非常に重要なものであります。
しかし世間一般の人は、だいたい「悪い考え方」をしていないと思いますから、成功する為の大切な要因はやはり「熱意」ではないかと考えます。
この「熱意」と言うのは日々数値が変化しており、体調や気分によって大きく変わってきます。
つかみどころがない物ですが、1から100まであるとすれば掛け算ですから結果がかなり違ってきます。
我々は限られた時間で一生を終えるわけですから、毎日の熱意の数値の合計が人生の結果として残るわけです。
では、どうすれば高い熱意を保ち続ける事ができるのでしょうか?
私の考えですが「どうしてもやり遂げたい!」という強烈な願望を持つ事が大切だと思います。そしてその願望が使命感に成長していくと、自分に「残された人生の大切な時間」を、熱意をもって過ごす事が出来るのではないでしょうか。
我々は良く「運命」という言葉を使いますが、人が使命感を感じて決意した時を「立命」といいます。
この「立命」の状態になった人は「燃えるような熱意」を保ち続ける事が出来るのだと思います。
しかし、「立命」の状態になったとしても我々は人間ですから、毎日頑張るというのは大変難しいでしょう。
楽をしたい、休みたいと思う時があっても仕様がないと思います、しかし熱意の数値が人生の結果であるならば、なんとか頑張る時間を増やさなければなりません。
実は、私も「立命」の状態にはなっているのですが、熱意を持続する事が非常に難しいと感じています。
少し疲れてくると「休みたい、さぼりたい」と考えてしまいます。
「自分の生涯の目標」と「残された時間」を考えて、まだ余裕があると思い込み、休もうとする傾向にあります。
しかし、たいていの人は時間を無駄に過ごして、生涯の目標を達成できずに死んでいくのですから、気をつけないと「光陰矢のごとし」だと自分に言い聞かせるようにしています。
本来の自分は非常に意思が弱く、優柔不断で、継続力がないと思っています。他の人と比べる事は出来ないですがおそらく、「能力」も「熱意」も低レベルだと感じています。
「考え方」だけは間違っていないと自信はありますが、情けない話です。
しかし、私には「もう一人の自分」が存在しており「もう一人の自分」は自分が理想としている人間です。
彼(もう一人の自分)は、非常に意志が強く、燃えるような熱意と行動力をもっています。
彼(もう一人の自分)は、私の事をよく叱ります、叱られた私は自己嫌悪に陥り彼(もう一人の自分)のように熱意を持った人間になりたいと願望し、努力します。
彼(もう一人の自分)に褒められた事がなく、いつも叱られて、呆れられて、情けないと言われています。
私の願望は、生涯の目標を果たして彼(もう一人の自分)に認めてもらい「よく頑張った」と褒めてもらう事です。
その為には「熱意」が大きな原動力になると思っていますから、少しでも多くの時間を「熱意」を持って生きていかないといけないと反省しております。
皆さんは、毎日どんな時間を過ごしておられますか?
「熱意」を持って生きて行く事は、結構楽しい事かもしれませんよ。
株式会社 家具のアウトレット ビッグウッド 杉浦眞悟