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アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」社長のブログです。
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5 善と悪

美しきものの由来

糞土を食べるクソ虫は誠に汚いものであるが、これが変態して蝉となり、清らかな露を秋風のもとに飲む。
腐った草には光などないが、これが変化して蛍となり、いろどりを夏の月に輝かす。
清潔なものは常に汚いものから出てくるし、明るいものは暗いものから生ずるということ。

そもそも美と醜、善と悪といった概念は、人間が勝手に作り上げたものである。
しかしその価値観は、民族ごとに人ごとに異なっている。
私たちが絶対だと思っている価値判断がきわめて脆いものであることに気づく。

心の善悪

心が公明正大であれば、たとえ暗い部屋の中にいても、青空を見上げるようにさわやかな気分になる。
逆に、暗愚な考えを抱いていると、たとえ白昼のもとでも悪魔の心が生じてくる。

周囲の環境が全てを決めるわけではない、心の環境こそが大事なのである。
結局は、人の心の善悪が、爽快と憂鬱をもたらすのである。

悪中の善、善中の悪

悪事を行いながら、それでも人に知られることを恐れる者は、まだ悪の中にもわずかに善に向かう道があるといえる。
立派な行いをして、そのことを他人に知ってほしいと焦る者は、善意の行いも、そのまま悪の根源となってしまう。

悪党を追いつめない

悪人を排除し、へつらい者をなくすには、彼らに一筋の逃げ道を設けておく必要がある。
もし全く見の置き場がないようにすると、たとえば鼠の穴をふさいでしまうような
もの、すべての逃げ道をふさいでしまうと、大事なものまで咬み破られてしまう。
徹底的に追いつめると、相手は苦しまぎれに無茶苦茶な行動に出て、こちらにも被害が及ぶ。

善と悪の現れ

善行をなしながら、そのご利益が見えないのは、ちょうど草むらの中の冬瓜のようなもので、やがて人知れず、自然と大きく成長していく。
悪事を行いながら、その損失が人に分からないのは、ちょうど庭先のなごり雪のようであり、知らないうちに必ずとけ消えてしまう。

人に優しく己に厳しく

人の過ちは許すのがよい。
だが自分の過ちは許してはならない。
自分のつらさ堪え忍ぶのはよい。
だが、他人のつらさは見過ごしてはならない。

自分が困惑し屈辱を味わうことがあっても、歯を食いしばって堪え忍ぶべきだ。
だが、他人が困っているのを見たら、それを黙って見過ごしてはならない。
「恕」の心を持たず、他人を批判するばかりでは、決して平和な世は訪れないであろう。

※恕=他人の過失を寛大に許す

6 俗を超える

富貴と仁義を超えた境地

手柄と名声、豊かな財産と高い地位、そういったものを求める心を解き放つことができれば、それで凡人の境地を脱することができよう。
また、道徳仁義といった世俗の価値観を解き放つことができれば、やっと聖人の境地に入ることができよう。

名と技を超える

本当に清廉潔白な人物は、清廉潔白だという評判が立たないものである。
名前が立つのは、まさにその人が名を求めている証拠である。
偉大な技術者は、その巧みな術を誇ったりしない。
術を見せびらかすのは、まだ拙い証しである。

真実の世界

鶯が鳴いて花が咲き、山や谷が色濃くつややかなのは、すべて世界の幻である。
水が尽きて木が枯れて、石や崖がむき出しになった姿こそ、天地の真実の姿を見るのである。

夢から覚める

静かな夜に鐘の音を聞くと、夢の中の夢から目覚めることができ、澄んだ水に映える月影を見ると、仮の身の外にある真実の姿を伺うことができる。
この世は、夢のようにはかなく、我が身も実態のないむなしい存在である。
こうした境地に至るには、あるきっかけが必要である。

静まり返った夜、響き渡る鐘の音、その音に聞き入っていると、人は覚醒する。
この世はしょせん夢であり、その中で名誉を求めようとするのは、夢の中でまた夢を見ようとしているようなものだ。
また、澄んだ水、そこに映える月影、その姿を見ていると、人は達観する。
わが身は所詮月影のような仮のものであり、本当の肉体は、この俗世の外にあるものだと。

時間と空間の悟り

石を打ち合わせて発する火花のような短い時間に、どちらが長いか短いかなどと競い合っている。
人の一生にどれほどの時間があるというのか。
カタツムリの角のような狭い場所で、どちらが勝つか負けるかなどと比べ合っている。
この人の世はどれほどの大きさの世界だというのか。

広大無辺で悠久な宇宙から見れば、人の生きている時間などは一瞬であり、人の活動している範囲はごくわずかな点にすぎない。
そのような中で、人はつまらぬことで競い合い、言い争いを繰り返す。

雑念を消す

気持ちが動揺していれば、弓の影を見ても蛇やサソリではないかと疑い、草むらの石を見ても虎が伏せているのではないかと思い込む。
このように全てのものが殺気に満ちてしまうのである。
これに対して、雑念が収まれば、石虎のような暴虐の人物も、海のカモメのように穏やかにすることができ、騒がしい蛙の声も、鼓や笛の音のように聞こえてくる。

このように触れるもの全てに真実のはたらきを見ることが出来るのである。











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プロフィール
HN:
杉浦眞悟
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1957/02/03
職業:
社長
自己紹介:
アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」の代表取締役社長
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