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アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」社長のブログです。
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今日は、「小善、大善」という言葉の意味について話したいと思います。

この言葉を始めて言われたのは、デンマークの哲学者キルケゴールですが、京セラ名誉会長の稲盛和夫氏も京セラ哲学の中で、説いておられます。

ニーチェと並んで個人主義を唱えたキルケゴールは、「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」と言っています。

キルケゴールは、野鴨の話に例えています。

ある優しい老人は、湖に集まる野鴨にえさを与えていました。

野鴨は、えさを探さなくても毎日、老人がえさを与えてくれるのでその場所に住み着いてしまい。

渡り鳥でありながら、飛ぶ事をしなくなってしまい、自分で餌をとる事もできなくなってしまいました。

ある日、老人が野鴨に餌を与える事ができなくなってしまうと、野鴨は餓死してしまいました。

この話の中で、「小善」とは優しい老人が餌を与えた事で、「大悪」とは、その事によって野鴨が餓死したことです。

「大善」とは、野鴨の事を真剣に考えて餌をやったりしない事でしょうね。

すなわち「大善」とは冷たい行い「非情」に似ていると言う事です。

これは、私達の人間社会でも同じ事が行われていると思います。

例えば子供を育てるにしても、甘やかし何でも買い与えていると、大人になってからろくな人間にならず、苦しい人生を歩まなくてはならない。

我々企業でも、嫌われたり怖がられたりするのが嫌で部下に優しくする上司=「小善」

結果、部下は仕事が出来ない人間になってしまい、一生後悔するような人生を送る=「大悪」

部下の将来の事まで考えて、相手のために心を鬼にして部下を叱る厳しい上司=「大善」

部下の仕事の成果を厳しく追求し、非情なまでに叱る=「非情」

これが「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」だと思います。

私も大学時代、体育会系の少林寺拳法部に在籍していたのですが、厳しい先輩を憎み嫌いました。

しかし、社会に出て数年すると心から「ありがたかった」と感謝していました。

自分のことを大切に思って叱ってくれた人のことは一生忘れる事がないと思います。

人を叱ったり注意したりする事は決して楽なことではありません。

人間関係が出来ていない部下をいきなり叱ったのでは、反発を買うだけです。

「大善」を行うことの出来る上司は、部下を心から愛し大切にしていなければなりません。

そして、部下の将来の事まで心配してやれる「度量」がなければ「大善」を行うことは出来ないでしょう。

一時的には,「非情」と思われ、嫌われ怖がられるのですから。

しかし、部下の人生を預かる上司は「大善」を目指して努力するべきだと思います。








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プロフィール
HN:
杉浦眞悟
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1957/02/03
職業:
社長
自己紹介:
アウトレット家具のチェーン店「ビッグウッド」の代表取締役社長
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